じゃあ、
その「頑張らない」すらも
手放しちゃえば?
世の中、一般的には「頑張ること」は美徳とされるムードがまだまだある。
頑張れば頑張った分だけいいことがあるはず!
私が頑張らなくっちゃココ(会社・家族)は成り立たない!
頑張ればわかってもらえる、報われる、と思ってしまったり、うまくいかないのは頑張りが足りないからだなんて言う人もいるくらいだ。
家族のため、子どものため、誰かのために頑張るのが当たり前かのようにみんな頑張っている。
だけど、今、「頑張らなくていいじゃん!自分を大切にしようよ!」っていうメッセージを送っている人がいることに気付いて、頑張るのをやめてみようって思う人も増えてきたよね!
心屋さんの本とかを読んで「自分を犠牲にしてまで頑張る必要なんてないんだ!」っていうメッセージに心を打たれたりして、自分は頑張り過ぎてたんだ、誰かの為に頑張るのをやめて自分の好きに生きなくちゃいけないんだ!自分を大切にすることはすごく大事なことだって気付くわけだ。
オトスピ(このブログ)を読んでいる人たちは、わりとそういうメッセージを受信して、すでに「頑張らないこと」を取り入れ始めている人も多いんじゃないかな~なんて思うけど、どうだろう?
新しい生き方を取り入れることはとても価値がある。
あなたがもし、頑張らない生き方を始めていたとしたら、それはすごいことだ。
だって、情報は山ほどあるけれど、実践に移す人はほんとわずかだというよね。
変わることはものすごいエネルギーを要することだけれど、そこをあえて変える勇気って、ホントすごいって思うんだ。
その新しい生き方によって、あなたはきっと恩恵を受けるに違いない。
自分が変わったことによって周りが変わる様をみて、「やっぱり頑張らないってステキ!」って思うだろう。
変化というのはとても素晴らしいことで、どんな変化であっても成長の一歩だと私は思う!
頑張らない教のスランプを迎えてない?
だけど、頑張らない教に魅せられて「頑張らない」をやってみて早○年、なんとなく近頃進めないって感じ始めた人はいないだろうか?
最初にその教えを発見したときと同じように、今も頑張らない教の成功者の声はあちこちで聞かれるだろうけど、なにかこう歩みが遅くなっているというか、スランプというか、モヤモヤ感があるような・・・。
あまりに劇的な気付きであればあるほどその変化も大きかっただろうし、有名な人や自分よりも素敵な人が「頑張らなくていいんだよ!」って言っていたりすると、その教えが、この道がぜった正しいに違いないって思えてしまう。
けれど、もしも近頃ドン詰まりを感じるなぁって思うなら、まだ先へと進む道が他にあるってことなんだと思ってほしい。
もっと違うものが自分の中に生まれ始めてるってことかもしれないよ!
「頑張らない生き方」が陥りやすい落とし穴
これまで、頑張らない生き方を実践してきたのに、ここにきてなんとなくうまくいかない感じがする時には、あらためて自分を振り返ってみよう。
もしかすると「頑張らないことを頑張る」状態になっているかもしれない。
周りのステキに生きている人はみーんな頑張らないことがいいって言ってるし、頑張ったらまたつらい目に合うし、幸せになれなくなっちゃうし、何より後退しているみたいでそんなの絶対嫌だしって、「頑張らないこと」に固執してしまっていないかな?
素敵な結果が一度でも得られたなら、当然頑張らないことはいいことで、頑張ることはよくないことって、○×を付けてジャッジをしたくもなる。
でも、「頑張らなくちゃだめ!」と「頑張っちゃだめ!」は、実はなんの違いもないんだよね。
どちらも、同じだけ「こうしなきゃダメだ」という正解を推奨しているんだよ。
「頑張っちゃう私はダメ」は自分に向けて「×」を送っているってことになる。
力が入らないパターンだ。
○×のパワーの話も読んでみて
答えがひとつなことほど苦しいことはないと私は思う。
時には頑張らなきゃいけない時や、誰かの為に少々の無理をせざるを得ないときだってある。
そんな矛盾が生じたとき、もしも「頑張るのはよくない」だけが正解だと思って、その矛盾や正解じゃない自分を責めてしまったのなら、なんかあんまり幸せではない感じになるよね。
頑張らないことで幸せになれると思ったのに、だよ。
人間って、そういうちぐはぐなことを平気でやってのける(笑)
ひとつの正解だけにとどまろうとすることは、それ以外のさらなる気付きを得る機会を失ってしまいかねない。
矛盾を許容する心があると、すごく楽に生きられるんだ。
「自分の成長を妨げるものはなんだと思う?」と聞かれたら、私は、迷わずに「こだわり」と答える。
「こうだ」という正解への固執、これが自分の成長つまり気付きや理解をさまたげ、一番の足かせになるんじゃないかと思うのね。
頑張らない生き方はゴールじゃない
何度も言うけど、なりたい自分になるために思い切ってガラリと行動や考え方を変えることはすごいこと!
だから、頑張る教じゃ自分らしく生きられないって思って、真逆の頑張らない教をやってみたことは大正解だ!
きっとやってみるといろんなものが見えたはずだもの。
頑張っていた自分が頑張らなくなることで感じる猛烈な違和感とか、これで本当にいいのかという迷いとか、自分のパターンを変えたことによって周りが変わっていく様とか、やってみてわかることがあったと思う。
矛盾を感じて迷うことがあったかもしれないし、幸せになるはずが幸せじゃない思考に囚われたりすることもあったかもしれない。
けど、そのすべてがやってみた人だけが得ることができる貴重な経験。
間違いは一つもないし、失敗もない。
でも、正解は一つではないし、頑張らない生き方は決してゴールではない。
新しい喜びに進むためには、何年も同じ「頑張らない教典」ばかり熱心に読んでいたんでは先に進めないってこと。
何よりスランプを感じ始めたということは、あなたはその殻にもう収まり切れないほど成長してきているのかもしれないよ?
私たちの生き方における成長って、頑張る→頑張らないって両極端を一回行き来するのではなくて、らせん階段を上がっていくように、頑張る→頑張らないは何度も繰り返され、その都度実践によって多くの気付きを得ながら、同じ「頑張る」でも前ターンとは違うもっと深く広い意味での「頑張る」の在り方にたどり着くし、その先にの「頑張らない」にも次のターンがある。
今なんだかそんな感じがしてる。
一つに固執せずにいると、実践しているうちになんとなーく違う方向へのヒントとかが現れ始めたりするから、思い切って違う考えを取り入れてみる姿勢って結構大事なんじゃないかなってよく思うんだ。
例えば、「他人のために生きる」→「自分のために生きる」ってシフトしてきたけれど、また「他人のために生きる」っていう感じで繰り返すことで生まれる深みと広がりのお話を見つけて、すごく素敵だなって思った。
さとうみつろう氏のブログに超わかりやすく書いてあったから、ぜひ読んでみてほしい。
ゴールなんてまだまだ先、今より先の成長があるんだってことを忘れないでいたいね。
他にも「頑張らない生き方が好きな人へ」
表現は続くよ、どこまでも。
ぴゅあ恋のちあきでした!
☆。.:*:・’゜☆ 大人ガール的スピリチュアル ☆。.:*:・’゜☆
♡オトスピ♡
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